2015年 06月 20日
サラブレッドに会いに新冠へ

十勝から出たのは久しぶりです。
馬の写真ばかりいっぱいです。

もう何年も前から1度来てみたかったところです。
サラブレッドの育成牧場が集まる場所で、有名なオグリキャップが晩年過ごした土地です。
サラブレッド銀座と名がついている程、道路沿いに牧場で、馬・馬・馬です。
ハイセイコーも聞いたことあるよね。

ほんとに立派で愛された馬だったんだなぁと実感。

かっこいい~

同じ北海道でも十勝とは別世界なのです。
十勝は牛・牛・牛・羊・牛なのに、見渡す限り馬ばかりで夢のよう


綺麗な牧場に美しい馬が沢山なのです。

この中には将来名を残す名馬になる子もいるんだろうな。

先週は新冠でサラブレッドだったけど、それ以外は帯広のばんえい競馬に通ってます。
お馬さん見て癒されてます。

前世は馬だったのか?
乗馬やりたいって思ったこともあるけど、さすがに無理。見て我慢だな。











カメラ撮影OK!出入りOK!の美術館。


上下左右は鏡なので余計に巨大に見えるのです。
迫力です。

おかん的にはちょっと怖い絵だったけど・・・・。





いったい、どこの子がここに通ってたの?てなくらい民家が見当たらない山の中の小学校。

田舎らしいゆる~い感じの美術館だね。

本気で走る姿はちくわもかっこ良かったね

=おかん=
2015年 06月 06日
あの日

おかんとおとーは抜いてもらった方がいいんじゃないか?って話もしてたけど、抜くとその時は楽になるけれど、ちくわの場合、早ければ数時間でまたすぐ溜まり、よりいっそう栄養が吸収出来なくなるので、痩せて体力もなくなり、ちくわにとっては辛い時間が長くなるだけ。抜いた翌日亡くなった子も知ってるので、抜きたくない。ちくわには出来るだけ苦しい思いをさせたくない。と先生には言われてた。
抜く決断をするのは、呼吸が苦しくなるくらい溜まるか、ご飯を食べても吐いてしまうようになってから。
だけど結局最期まで、吐くことはなかった。
最後になった日、おやつも食べれないし、腹水がすごく増えてるので、いよいよ抜かないとまずいんじゃないかと病院に電話をし、ちくわを連れて行った。
予定では翌日留置針を取り換えに行く日程だった。
家にいた時はすごくだるそうで、ものすごく動きづらそうになってたけど、重いお腹に振られながら「病院行くよ」と言ったら歩くことが出来てた。
受付して、車でしばらく待って、診察して、腹水の状態をエコーで見てもらったら、やはりかなり溜まってた。
それでもやっぱり先生はどうしようか考えてる感じ。
胸水はなかったし、見た目的にはもっとひどく膨れるそうだ。
そして歯茎を確認してみたら、歯茎も舌も真白くなってた。
さっきまでは普通に赤かったはず・・・。もうびっくりでした。
そして先生からは「この状態では腹水抜けない。抜いたらショックを起こしてその場で死ぬ可能性あり、そして、ここまできたらあと1週間持つかどうか・・・間違いなく1週間持たないです。もしかしたら今夜も危ない可能性もあります。」と。
そして泣きながら帰宅しました。
それでもまだ1週間の時間はあると思い込んでたおかん。
おとーも家に帰ってたので、ちくわを見てもらい、札幌の業者さんに先生に教えてもらった酸素ハウスを手配。でも届くのは明後日の朝。間に合うと信じてお願いした。
取りあえず病院から持ってきた酸素缶をあててみたけど、効果あるのかないのか・・・。
じいちゃんとばあちゃんにも一応会いに来てもらった。
じいちゃん達がくる数分前から、急にきゅ~んてちくわらしくない声を出しはじめる。
それが数分おきに。目も上を向いてしまってた。レメディとブドウ糖を口に入れるとすこし戻ったけど、やっぱりきゅ~んて鳴く。
もしかしてこれこそ、肝性脳症の発作かと病院に電話して、確認してから初めて座薬を入れた。
数分で落ち着くが、なんだか呼吸がしずらいのか、大きく胸が上下してた。
じいちゃん達が帰ってからも1時間くらい、発作は治まったが、寝そうで寝ないので、おかんは冷たい手を握り、目の前で顔を見ながら「ちくわ、大丈夫?疲れるからねんねしなさい」って頭をなで続けた。
この時でもまだ、落ち着いたから眠るだろう。今夜からは寝ないで付き添いだな・・と思ってた。
そして、おとーがお腹が圧迫されて苦しいんじゃないかと、座布団とお腹の間にすっと隙間をつくるのに手をいれた瞬間、ふーって言って大きく息を吸った。
そしてそれが最後の一息になってしまったのでした。
おとーが「え?息止まったんでない?」「え?うそでしょ?まじで?」と慌てて心臓マッサージ的な事をするも、戻るわけもなく・・。
病院から帰ってから、2時間くらいの事でした。
ほんとにこんなにもあっけないものかと、驚きました。
動けなくなって、何も食べれなくなって、トイレも自力で出来なくなって、つきっきりの介助を仕事も休んでするつもりで、最後はおかんの腕の中で、もう頑張らなくていいよ・・とかありがとう・・とか大好きだからね・・とか言う状況を想像し、覚悟してたので、思いっきりちくわには驚かされました。
さっき帰ったばかりのじいちゃんばあちゃんも、すぐまた線香をもって来てくれた。
病院に行かなきゃ良かった、しんどかったのに、連れてったからだ・・・と泣いて後悔してたら、おとーとばあちゃんに行かなきゃ行かないで、行けば良かったって思うでしょ。と言われた。そのとおりです・・はい。

その日のお昼ヨーグルトを喜んで食べてたちくわ。
晴れてるのでベランダの窓開けたら、よいしょよいしょと歩いて、しばらく真白い外を眺めてたちくわ。
窓締めるよと言ったら、雪の反射で眩しそうに目を細めながらおかんを見上げたちくわ。
最期の日まで、いってらっさいとしっかり見送って、おかえりと迎えてくれたちくわ。
寝たきりの姿を見せたくなかった?もしかして、自分が今夜死ぬとは思ってなかったんじゃない?
ごめんね、最後の最後までバタバタしちゃったね。
MAX7㎏だった体重は、手作りご飯になってから、5.4㎏くらいでキープしてたはずだけど、おやつしか食べなくなって多分少しづつ落ちてたんだろうけど、それと入れ替わりに腹水が貯まり出したので、良いのか悪いのか、ガリガリのちくわを見ずにすみました。
最期の体重は腹水で増えて7㎏にかなり近くなってた。
お水だけど、健康な時の体重に偶然戻って旅立ったようです。
多分辛かったんだろうけど、おかんにあまりしんどい姿を見せませんでした。ほんとに強い子でした。
おとーは「ごっついちくわを見なれてるうちらだから、腹水抜いたり、痩せてがりがりになるちくわを見つづけるのは多分一番辛かったろうから、まだ良かったのかもね」と言ってた。
どっちがいいんだかね。あまりにもあっさりしすぎて、受け入れるのにおかんはかなり時間はかかったよ。

5月29日が百か日でした。
最期の日の事、思い出すと泣けてしまうので、スルーしてきたけど、さすがに時間たち過ぎ。
書きながら、やっぱりボロボロですが・・・。
100日経っても、何もかわらないなぁ。
こういう事は勢いで書かないと駄目だね。こんなに引っ張ってるのはおかんだけだろね。
今更いいかな?とも思ったけど、ちゃんと最後まで頑張ったってちくわの為に書かなきゃと思いました。
未だに心配して下さってる皆さんにもまた悲しい思いさせてしまいます。ほんとにごめんなさい。
悲しい話はこれで終わりにするから・・・。

うちの放置クレマチス。
ちくわの事でいっぱいで何年も全然気にしてなかったのに、今年は早くから暑いせいか、みごとに咲き誇ってます。
放置しても生命力のある子はちゃんと育つのだね。
=おかん=